原告・賛同者の声

安保法制違憲訴訟みやざきの会へ参加してくださっている方々の「思い」を集めました。


私が原告になった理由

   

 

 安保法制が国会で強行採決されたときの自分の中の怒りと失望を忘れないため、同じ想いをもつ方々とつながり、忘れないために原告となりました。

 

ややもすると、日々の生活の些細な幸せと慌ただしさの中で見失いそうになる、あの時のやりきれない気持ち。でも実は大多数の国民には直接見えないところで、安保法をもとに確実に動いているであろうさまざまな現実。また、国民の声を聞かない立法と行政に対し、そのチェック機関である司法に、国民の最後の砦であってほしいと願うからです。それがかなわないならば、日本は名前だけの民主主義国家です。

 

中学3年生の頃、社会科公民の授業で担当の先生が三権分立について熱心に教えてくださったことを思い出します。あれから30年が経過し、二人の子どもの母となり、自分の亡き後のことを考えるようになりました。我が子だけでなく、日本だけでなく、世界中の、これからを生きる子どもたちが幸せに生きていけるような社会を残すために、私はこの訴訟の一原告として活動していきます。

(40代 女性 自営業)

 


 

子どもたちの未来を守る

 

バッサ、バッサと音がします。国会では、多数決という刀が振り回され、次々と重要な法案がろくに審議もされず可決され、ついに安保法=戦争法が強行採決されました。他国の戦争に駆り出され、殺し殺されることが、直ぐにでも始まります。そして日本も、その標的となり戦場となるのは明らかです。

 

思えば、前の大戦で唯一、日本で地上戦となった沖縄では約52万人中20万人以上が亡くなり、そのうち12万人以上の子どもを含む沖縄県民が犠牲になりました。私は今年上旬に沖縄の辺野古の座り込みに参加し、その後「対馬丸記念館」に行きました。昭和19年、子ども達を守るために他県に移動する目的(学童集団疎開)で、1788名(船員・兵員含む)を乗せた「対馬丸」が、米潜水艦の魚雷攻撃により海に沈められ、約8割の人びとが海底へと消えてしまいました。さらに、生き残った人々へは、「このことは決して語ってはいけない」と、厳重な箝口令が敷かれており、そのことを示す遺族の手紙や、亡くなった子ども達の写真や遺品等が展示されていました。中でも、子どものカルタにあった「見まい 聞くまい 話すまい 国の機密 心して」の文言は、まさに現在の某学園の問題や共謀罪につながる恐ろしい教育理念のひとつといえるでしょう。

 

記念館のパンフレットには「……いまも世界では報復の連鎖が、子どもたちから新たな夢と希望を奪っています。この報復の連鎖を断ち切る努力を一人一人がすること、これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された、私たちへの「課題」ではないでしょうか」と呼びかけられた文章が掲げられています。その「課題」に、裁判という形で私達大人が責任を持って応えていくべきだと思い、この訴訟に参加しました。

 

(50代女性)


 

 私が安保法制に反対する一番の理由は、「世界の人たちが仲良くなってほしい」という思いのためです。

 

 日本が憲法で戦争を放棄しているということは、世界中の国々で知られています。日本は「戦争をしない国」として、他の国々から信用されているのです。

 

 それが安保法制によって、集団的自衛権を行使することが当たり前になれば、「戦争をしない国」としての信用は失われるでしょう。もしかしたら日本は敵国とみなされ、海外に出た日本人は命を狙われやすくなり、安心して渡航できなくなることがあるかもしれません。

 

 また、今は自衛隊員が海外に派遣されますが、これから少子化がますます進み、私たちの子どもたちが大人になる頃、隊員の減少を補うために半強制的に徴兵が行われるかもしれません。そして、私たちの子どもたちが戦地に派遣されたり、あるいは、彼らの家族や友人たちが戦地に駆り出されたりして、悲しい目にあうかもしれません。

 

 他の国々の問題を解決するために、武力を使うのではなく、粘り強く対話することで解決してほしい。そして日本は、武力により同盟国に協力するのではなく世界の人たちが仲良くなるよう率先して対話をもって他の国々に働きかけて欲しい。

 

そう願っています。

 

 40代男性 会社員)

 


貧困やさまざまな理由で、正社員を希望しているにも関わらず非正規で働いている人が若者や女性に限らず、4050代の家庭を持つ男性にもたくさんいます。「自己責任」と言われてぐうの音も出ない労働者(私も含まれます)が、貯金もできず、時には借金をしながらその日その月を何とか乗り越えています

 

頑張ったからって正社員になれる可能性はほぼありません。

夢や希望を感じにくい状態です。

そこで職業選択肢のひとつとして「戦争に行く」「戦う」という仕事があると気付いたら、もしくは募集を目にしたらどうでしょうか。 

 社会保障が充実していて、将来の年金も確保できるかもしれない、今より暮らしに余裕が出て恋人とデートをしたり結婚を考えたりできるかもしれない、今までの仕事では得られなかった「誰かの役にたっている」という仕事への矜持さえ持つことができるかもしれない……このようなことを考えて、自ら進んで戦争に参加したいと希望する人が多くいるのではないでしょうか。そのように行動してしまうくらい、今の生活が苦しい人が沢山いるように思います。

 

 わたしは、常に良心に基づいて自分のこととして考え、時には行動し声をあげる市民でありたいと考え、原告になりました。

 

30代女性 家事・家業手伝い)

(第1回原告のつどいスピーチより抜粋)